LAICHIブログ

〜新米看護師の雑記帳〜

励ますことよりも大切なこと

こんにちは、LAICHIです!

先日、正式に宮越先生のお話をブログで記載する許可を頂きました。

ですので今日も大好きな「宮越先生」のお話をしようと思います。

 

 

有名な”小野田寛郎”さんのお話です。

私なりの解釈も加えて、このお話をさせて頂きます。

 

皆さんは小野田寛郎さんをご存知ですか?

 

戦争が終わっても、フィリピンで一人で戦い続けていた人です。

 

戦後、どうやらそういう人がいるという話になり、探しに行きましたが出てきません。

投降を呼びかけてもそれに全く応じなかったそうです。


何故なら


戦争が終わったと伝えても、小野田さんは戦争が終わっていないと思っているから、出てきようがないということです。

戦争が終わったと言われても、戦争は続いてると信じているから、敵の策略だと思うわけです。

 

ではそんな小野田さんをどうやって連れ戻したのか?

それは当時の実際の上官がフィリピンまで行って、小野田さんに武装解除の命令を出したそうです。

 

上官が来てくれたから、出て来て、今までの戦いをやめて、戻って来たという話です。

 

 

ですが、調べてみると

どうやら小野田さんは戦争が終わったことは知っていたそうです。

小野田さんは陸軍中野学校という場所で諜報活動の訓練を受けていました。

現地で入手したラジオを短波受信機に改造して、世界中の情勢を把握することができていたそうです。

 

何故知りつつも戦い続けてたのか?

 

それは彼の信念だと。

信念が彼を戦わせ続けていたのだと。

 

先にも述べましたが、小野田さんは”陸軍中野学校”で諜報を行う訓練を受けていました。

そこでの教えは、当時の日本軍が行なっていた玉砕をしてはならず、

最後の一人になっても戦え。

というものでした。

捕虜になっても死んではならず、主力撤退後も任務を全うするように教え込まれていました。

師団長からも

「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも、5年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が一人でも残っている間は、ヤシの実を齧ってでも兵隊を使って頑張ってくれ。いいか、重ねていうが、玉砕は絶対に許さん。わかったな。」

と日本軍の戦陣訓を全否定する訓示を受けています。

 

なので自分は戦い続けるんだという信念を持っていたというわけです。

だから小野田さんを変えることができたのは、実際の上官だけだったというわけです。

 

 

そしてこれはよく考えてみると

私たちにとって遠い話ではないということです。

昔、辛いことがあって

あの時辛かった。

もうとっくにそんな出来事は終わっているのに、

まだ嫌なことや辛いことが起こるんじゃないか?

と思って戦争を続けている人がいるかもしれないということです。

 

ちょっとしたことが、空襲の警報に聞こえて逃げ出したくなるような人がいるかもしれないということです。

そして何かあったら、身を守るため何かをしなきゃいけないと思い込んでいる人がいるかもしれないということです。

 

ですので、悩んでいたり、苦しんでいたりする人がもし周りにいた時は

励ましたり、否定をするのではなく

その人の世界観に合わせてお話をする。

そうすることで、戦争はもう終わったんだと思えるのではないしょうか?